並列処理概論 ver2.(3/3)著者 吉田作太郎

12.チケットプリンターを作った時の例。

 昔、航空機のチケットを発券する装置、ATBチケットプリンターの開発をした事がある。
マルチタスクOSを用いないでアセンブラで開発した。
つまり、シングルタスクである。
さて、このチケット。チケットを発行依頼する機械からの命令でチケットを発行するのだが、チケットプリンターで2枚同時にチケットを搬送できる様にする事が一番の目的であった。
普通、シングルタスクでは、チケットを一枚ずつ発券するしかない。
これを可能にしたのが、シングルタスクに大きなループを作って各タスクにタスクスイッチを配備して作るマルチタスクシステムであった。
我々が手がけたのは、搬送系という部分であった。
チケットを搬送するタスクを3つに分けて作った。
また、チケットを搬送させるためのパルスモーターの設計もした。
 さて、チケットを搬送するタスクは、光センサーによってチケットの動きを監視している。
その部分は、チケットを搬送するとき光センサーがどのようなオン・オフの動きをするかというタイムチャートが渡され、そのセンサーの動きに従ってタスクを動かすという設計であった。
ここに一人のできの悪い年配者のプログラマーがいて、この者が作ったタスクのフロチャートはごちゃごちゃしていた。矢印があっちへ行ったりこっちへ行ったりして、意味不明のフロチャートを提出してくるのだ。
普通、チケットという紙が動いたら順番に動くものであるから、書くフロチャートも紙が動いた順番に条件ジャンプするというえらく簡単なプログラムのはずなのだが、この人が作るプログラムは、そんな事はえらく無視したものであり、作り直しという修正依頼しても拒絶し、しかも、こちらからの仕事の作法を全く学ぼうとしないという困った人間だった。
私は、この男が私の耳元で今にも殺されそうな声でがなりたてられたので、その夜、中耳炎になってしまい、仕事に参加する事ができなくなってしまった。
さて、結合テストになった。
中耳炎で苦しんでいる自分に電話がかかってきて、仕事に参加してくれという事であった。
行ってみると、皆、困っている顔をしていた。
私だって、誰が作ったプログラムの内容なんか全く分からないのだが、デバッグした。
するとどうだろう。
後から後から、バグだらけのプログラムを渡されるのであった。
私が以前いた時は、威張っていたり、こちらの事をばかにしたり、今にも殺されそうな声を出して中耳炎にさせたりする人間が、とても不安そうな顔をするのであった。
こう、客にべったりついていると、この人間は、顧客を恐れているらしい。
これらのプログラムのバグは、全てこの人間がしでかした事であった。
私がこの仕事を担当すると、私とこの私を中耳炎にさせた人間と一緒に仕事をする事になってしまっていた。結局、皆、自信が無くてこそこそと逃げ出した訳である。
さて、一通り仕事を終えて帰ろうとした時、タスクの間違い箇所を見つけた。
それは、チケットを搬送するタスクは光センサーによるタイムチャート図通りに作っているのだが、モーターを停止するための部分は、モーターが停止するまでタスクの全体のループにもどさずそこの部分だけ無限ループ(ビジーループ)なのである。
これを修正しようと私が意見を言ったら、この私を中耳炎にさせた人間はとたんに拒絶した。「黙っていろ!!黙っていなければ俺はおまえを絶対許さない!!会社で嫌がらせしてやる!!おまえの言う事は絶対聞かない!!」
はてさて、どうしたものか。
 普通、正しい善悪の判断とは、修正せねばならないのは当然である。
しかし、この会社の社会では年齢に対する敬意を示さなければならない。これも、善悪の判断基準である。
この人間はいったい何を考えているのだろうか?
私は、疑問に思った。そして、私は、この人間を説得しようとしても、一向に言う事を聞かない。この人間がそこまでして何かを守ろうとする意思とは何かを疑問に思いながら、私は修正する事を断念した。
 さて、その夜、仕事を終えて、この人間と一緒に旅館で宴会を開いた。
そして、たずねた。
「お客さんから、自分の仕事に関して問題がある時、客から修正依頼を依頼されたらどうしたら良いでしょうか?」
その答えとは、「工数がかかります。と言っておくんだよ。」という事だった。
「我々の仕事とは、”受託”であり、”善管注意義務”なんだ。だから、責任というのは全く無いんだ。相手の方から仕事を依頼されたら、工数がかかりますと言っておく事。これでたいていの仕事に関する依頼は断る事ができる。これプログラマーとしてのビジネスとしての常識。」と言われた。
しかし、私が呼び出された時は、このプログラマーは、たいそう困った顔をして、悩んでいるようであったが、これは、やっぱり、怒られるのが怖いらしい。
ただし、私の前では何も怖くは無いらしい。
この人間、これ以降、自分の我ばかり通して、一生懸命に私に教えると称して仕事以外の昔のレザークラフトの仕事だとか競馬だとか競輪などの話を一生懸命に私に教えようとした。
いったい、この人間は、会社に何しに来ているのだろうか。
こちらから、教えねばならない事が沢山あるというのに、一向に学ぼうとしてくれない。
ところで、この出張から帰った時、この仕事ができなくて逃げ出した上司を含めた人間達に、事の一切を説明した。普段ならば、「あれはいけない。これはいけない。」なる説教をするはずの上司や先輩達は黙ったままであった。
この当時は、なぜ、その様に黙っていたのかは理解していなかったが、私は、どうやら、悪党達の集まっている会社で仕事をしていたという事だったらしい。
メチャクチャだとかいい加減すぎる職場という事は、悪党だと罵られてもしょうがないだろう。
 さて、この件で思った事は、アセンブラでのシングルタスクのマルチタスク化とは、ちょっと修正するのに、大変手間暇がかかる。
このパルスモーターの停止部分をもしマルチタスクのシステムコールを使うとしたら、間違いなくのRUN状態をREADY状態にさせるためのμITRON_OSで使われているローテーション・レディーキュー(rot_rdq)処理を付け加えたい所だが、もし、ここに、プライオリティーの問題が発生したとしたら、タイマーウエイトを使って問題解決する事だろう。これが、一番の応急処置となる。
今は、そう思っていて、ビバ、マルチタスク!!だが、やっぱり、ヘンテコリンナ人間と一緒に仕事をしていられないものだ
それは、相手も同様であろう。
だって、自分勝手に動かないプログラムを書き続けて、労働したと思い込んで、それを実践に提出しようと無理するのだから、互いに嫌な思いをする。
更に、自分が間違っていても、強情を働けば通ると思い込んだら付け上がる人間である。
だって、不誠実な事でも、権力を持てば自分の自由になると思い上がっている人間であるからだ。
であるから、そういう事が無いためにも、正しいか正しくないかという考え方とは別次元で権力なるものが無ければ、人は思うとおりに動かないし、善の方向へ動こうとしない人間も多い事を心得ておいた方が良いだろう。
世の中、いろんな意見があるから、人の話をよく聞いて判断すべきだという意見があるだろうが、仕事をする上でどうしても妥協できない事柄ってあるものだ。
であるから、自分が正しい行いをするためには、権力を持たねば、不誠実な人間達からバカにされて、正しくあるべき仕事をないがしろにしてしまう事もある事を心得て、男というものは権力闘争する必用があるのだ。
それは、「ならぬものはならぬのです。」という精神を貫くために。
世の中とは、正しい事を実行しようとする場合、権力は必用である。
悪いと分かっていて同じ仲間として悪い事をする馴れ合いや、丸め込みなる事。こういう時は、仲間意識というのが邪魔であり、仲間である事よりもリーダーやマネージャーである事を自覚して、正しい事正しくない事に関して自分と意見が合わない事柄は公の立場としての正義を貫くために、仲間である事よりも支配者である事を自覚して威勢を使って、それは簡単に言って威張って威圧する事なのだが、そうやって人を使ってゆかねばならない。
特にコンピューターの仕事とは、自分達の仲間の他に、他人様の人の命や大きな財産に関わる重要な仕事である。
リーダーやマネージャーはそれを心得ておいて権力を使い威勢を使わなければならない。
それは、つまり権力や威勢は、ふざけて遊ぶ、遊び道具や、自己弁護のために使う道具ではない事を心得て、自分が公の人間であるという使命と責任感を貫くために使う事。
後、リーダーやマネージャーは、子供の様な「ふざける」なる事をしてはならない。
ユーモアと「ふざける」を混同しない
それは、リーダーやマネージャーの役目は、管理監督業であるから、何かが問題がある前に悪の兆しを断つ事も仕事の内である。
ふざける事とは、「親しみやすさ」、「フレンドリーな事」と周りの者達が称している事だろうが、実は仲間の中に入り込んでいる己の正体を明かしていない隠れた悪人からの馴れ合いや丸め込みを受け入れやすくなるという悪の兆しを受け入れやすくなる事であるので、そういう悪の兆しは断った方が良い。
 次に、ビジネスとしての話だが、この業界の下請け会社のほとんどは請負契約ではなく、準委任契約である。請負は不出来な仕事には金を払わず返品しても良いが準委任契約は「善管注意義務」という相手の善意だけを信じて仕事をまかせる仕事であり不出来な仕事でも金は支払わなければならない。
であるから、親会社が子会社に仕事の管理監督をして子会社が不出来な仕事をした場合、いいや、準委任や請負契約は、親会社が管理監督しても指示命令をしてはいけないという事になってくるから、どうしても指示命令がしたい場合、親会社は余分な工数の料金を支払って指示命令しなければならない。
ただし、相手ができの悪い技術者で、不出来な仕事しかできず、修正依頼して仕事をやらせても必ず仕事が失敗するなだとかいろんな問題がある場合、子会社側の人間が「工数がかかりますよ」と言った時点で、親会社の人間がその場で契約破棄した上に出入り禁止にして、二度とその会社とそこの人材に関わり合わないようにするものであろう。
ただし、相手が有能な技術者であり、どうしてもやってもらいたい仕事がある場合、準委任契約の場合、親会社は余分な工数を支払って仕事を依頼する。
この時、親会社の人間は、「1日分の工数を支払うがやってもらえますか。」と言ってくる。
この時、ビジネス上、これを拒絶したら、この会社から二度と仕事がやってこなくなる。
であるから、「どのような内容の依頼でしょうか?可能な話ならばやります。」と言って、親会社の人間と相談して、知恵を出し合うコミュニケーションをし、不可能な仕事ならば、断るし、可能な仕事ならば受け付ける様にしておく事。
親会社から「工数を支払うからやってもらいた仕事がある」と言ってきた場合、それは、下請けであるあなたが親会社から信頼されての依頼である事がほとんどである。ほとんどの仕事は不可能な仕事では無く可能な仕事、場合により簡単な修正によって成し得る仕事が多いので、この依頼は、良いコミュニケーションをしてできるだけ仕事を受け付けた方が良いのである。
コミュニケーションは大事である。親会社から与えられる仕事で、不可能な仕事を与えられる時がたまにあるが、私の経験では、これは、試すためにやっている。特にこびへつらう人間を排除するためにわざと不可能な仕事を与えてみて、試す。この場合、拒絶する事が大事だが、きちっと、論理的な説明をして、断る事。もし、断らなければ、「こいつは、与えられた仕事に関してできるかできないかを判断する能力も無く、ただこびへつらっている人間であり、そういう人間の本質とは嘘つきであるから、後々ためにならないし、また、同業者としてそして仲間として「最大の裏切り者になる可能性の高い危険人物」である。」と認識されて、できない仕事を与え続ける事によって、仕事にわざと失敗させて、取引関係から手を切ろうとする事になる。
であるから、お客様からの仕事の依頼に関して大事なのは、自分勝手な判断ではない。
きちっと、仕事の内容を吟味してみるコミュニケーションをしてから、お客様良し、自分良し、公のモラル良しという「三方良し」の哲学を元に、仕事を引き受けたり断ったりする事が大事なのである。




13.労働について考える。

 あらゆる労働とは、並列処理である。であるから、業務フローを書いて順番に実行されるべきものである。
また、この業務フローが完成していれば、他の人を雇って並列的に仕事をさせて、人数を投入させた分、仕事を効率的にこなしてゆくのに役立つ。
すると、仕事の管理監督する側も、この業務フロー通りに仕事をこなしているかどうかによって、仕事の成果を計測しながら数値化して計測する事ができる様になるのである。
 さて、企業の品質管理にISO9001なるものがある。
どうやって、品質管理すれば良いか?
職人芸では、成果物でしか管理できない。工場のように各担当を決めてプロセス通りに製品を作っている部門では、決められたプロセスを作り、人を使うのに決められたプロセス通りに人材を配置し作業をさせれば管理できる。
まるで機械設計の概念で人を使い管理する。
この様に、仕事を管理監督する側とは、人や設備を使うのに決められたプロセス通りに事が進行しているかどうかを管理すれば良い。
このプロセスの管理の基本とは何か?それは、業務フローを作って管理する事である。
次に仕事に使われている用語の定義をしっかりして仕事の担当者と管理監督者が共有している事。
その他に、仕事の作法を文書化して、仕事の担当者と管理監督者が共有している事も大事で有る。
このアウトラインができて、やっと、仕事というものをシステム化する事ができ、そのシステムを管理監督する基礎を作る事ができる。
 しかし、この管理監督には、欠点がある。
確かに、この様なシステム化をして管理監督をすれば、余裕を持って人々が担当した作業をしてくれて、一定の品質を保って作業をする事ができるが、それは同時に機械的なマルチタスクOSが成し遂げる品質管理と資材管理と財務管理と時間管理しかできない。
この作業のやり方とは、大企業がやる仕事のやり方である。
これに比べて、職人と呼ばれる人間の仕事のやり方とは、まず作業の業務フローは全て自分に身に付いている。そして、全ての作業は、マルチタスクOSのスケジューリングではなくて、その職業専用の優秀な知能付きで全ての業務フローをマルチタスクOS以上のマネジメント能力によって短時間で高品質な製品を作ってゆく。
その代表的な職人の例とは、レストランのコックがあげられる。
コックは、複数の注文を受け付けて全ての料理を作る業務フォローをマルチタスクOS以上の知能付きスケジューリングでこなしてゆく。
こういう記述をすると、大企業よりも熟練工がいる中小企業がすばらしいという感じであろうが、実際は違っている。
マネジメント能力に関する無知な中小企業の経営者や上司がいて、「仕事とは盗んで覚えるもものだ。」という教育を与えて仕事をさせて、従業員に無理な経営や業務の管理監督をする事があった場合、従業員に無理な仕事をさせて大失敗してしまうケースが多い。
また、せっかく作ったISO9001があっても、管理監督者が怠慢であったり、従業員が不真面目であって守る気が無かったりすれば、仕事というものは大失敗してしまうものである。
 会社が小規模な経営から大規模な経営へ変わる時、もし、品質管理のISO9001のようなものがあるとしたら、韓非子に書かれている様な管理監督が必用である。
「王様が、酔いつぶれて床の上で寝てしまいました。それを見た冠係が、王様を気遣い王様に衣をかけました。王様は、起きると衣をかけられた事を喜びました。そして、王様が、誰がこの衣をかけたのかと聞いたら、冠係がかけたと聞いたので、冠係と衣装係を呼んで事実を確かめた所、本来、王様に衣をかける仕事は衣装係なのに冠係がかけたという事で、王様は衣装係と冠係の二人を罰しました。」
ここで言う所の王様とは、管理監督者の事である。
規模が大きな経営となってくると、仕事とはシステム化して機械の様に動かす事。
そして、仕事とはプロセスを大事にする事。
そして、そのプロセスを担当する人間は、他の仕事と兼任してはならない。また、他の責任者になってはならない。
もし、他の仕事をしたり、他の仕事の責任者になったりしたら、罰する事。
そうやって、システムを動かす事。
すると、もし、成果物に異常があったとしたら、プロセスを確かめて、何がいけなかったのかという犯人や原因を見つけ出す事が容易になる。
更に、事前に異常事態が起こらなくさせる様にする事が管理監督者の指導によってする事ができる。
これが、管理監督という業務の基礎である。
マルチタスクを用いたアプリケーションの設計とは、システムの設計であり、この様に労働の管理監督業の知識と関連し合っているのである。
 私がプログラマーの時、やたら部下が「吉田さん。人を使うのは難しいよ。」なる事を言っていた人間がいた。私は自分なりの意見を言ったら「そんなんじゃダメだ。人間は機械ではないのだから。俺が人を使う事ができるのは俺には感受性があるから人を使う事ができるのだ。」なる事を言っていた。
ある日、お客さんとその部下と一緒に会議に出たら、その部下は、やたら、お客さんに体全体をゆさぶり動かしながらペコペコしてご無理ごもっともと言ってきた。私が、仕事の会議に口を出そうものならば、怒り出す。その理由とは、「なぜ拒絶するか?」という怒りの感情でこちらを威圧するのであった。
自社に戻って今度は部長と一緒に会議をした。そして、私は部長の前で、この部下が勝手に約束できない仕事を取ってきたとクレームを言ったら、今度は、この部下と部長は、私を悪人にして「仕事を拒絶してはいけない。」と言い張り、そして部長に仕事の進捗予定表を書けと言われた。その書いた予定表は納期に間に合わないものであった。そしたら部長は怒って「それじゃダメだ。納期まで間に合うという予定表を書け。」と何度も言われ、そしてとてもじゃできないという予定表を書く結果となった。
この部下、今度は自分の関わっている仕事について私にあれこれ聞いてくる。これは仕事を教わりたくて聞くのではなく、また、問題点の原因を探ろうともせず、また、何か問題点が明確になってそれを聞いてくるのではなく、こちらをやり込める感覚で聞いてくる。この質問の中で通信電文の優先順位順に制御する部分が出てきてそれについて考えたら、優先順位順を制御する部分に問題点がある事を見つけた。そこで、私は親会社にこの問題点を報告してもっと簡単な制御を提案したのだった。するとお客さんの方で、いそがしいだろうから、与えた仕様をもっと楽にしてやろうという事になった。ただ、この後でも、この部下は、お客さんからの仕事を沢山取ってくるのであった。
はたして、この部下の言う「人を使うのは難しいよ。」なる言葉。
これ、「人を管理監督して仕事をスケジュール通りやり遂げる方法論。」なる基本法則を無視して、仕事に関して口を出し、スケジュール通りにいかない仕事でも簡単に取ってくるからたまったものではなかった。
この部下の言う「人を使うのは難しいよ。」という言葉。
これは、いったい何だったのだろう。結局、彼には、彼独特の人付き合いだとか親睦だとか人への気遣いだとか、それに基づくコミュニケーションが大事だとでも言いたいのだろう。そして、お客様にべったりと張り付いて一生懸命に、お客様のために、コミュニケーションしようと頑張っていたのだろう。そして、こういう態度が、客にとって、うっとうしいだとか、こびへつらっていて、いつでも約束できない事でも平気で約束する事ができる嘘吐き人間とでも思われたのであろう。こういう部下の様な人間がいて一緒に仕事をすると、デスマーチは必ず起こる。これでは、「人を使うのは難しいよ。」程度の騒ぎではない災難が訪れてしまうというものである。
 また別の話をする。有力なお客様からやってくる新規の仕事とは、会社内の優秀な人材を集めて仕事をするものである。そして、そのお客様から仕事が次から次とやってくると、今度は人材のレベルを下げて、優秀な人材は、また、新規の難しい仕事を担当させられるものである。
この人材のレベルを下げられた部署に配属されるとたまったものではない。
以前、優秀な人達と一緒に仕事をしていた人材がリーダーとなっているのだが、一般のプログラマーが入ってくると「レベルが低い」と怒り出す。そして、「もっと、レベルの高い人材が欲しい。」と言ってくる。
実は、コンピューターの仕事とは、インタビュー技術が必用だ。
それは、お客様の仕事の用語、作法、独自技術などを聞き出さなければならない。
また、最先端の仕事をやっている所の仕事の作法などは、そのほとんどが独自技術というものである。
そういう独自技術の用語や作法を教えられないで、一般のプログラマーを使っても役に立つはずがない。
以前からあるプロジェクトとは、二次三次の仕事がやって来て次々と人材が代わって人材のたらい回しにしている様なプロジェクトには、教育だとか、技術の伝承が必用なのだ。
それが分からないチームリーダーが仕事を仕切るとプロジェクトは壊滅状態になってしまうものである。
これは、また、その会社の上司も悪いし、人事も悪いから、この様な壊滅状態が生じるのである。
 さて、ここで、労働につて考える。
一番の基本とは、仕事には、用語の統一、作法の統一が必用であり、それに基づく知の伝承が必用である。
その知の伝承において、業務フローが書けるものがあれば、労働がパターン化する事ができて、楽である。
また、労働がパターン化する事ができれば、マネジメント業や管理監督業が楽である。
労働において、マネジメント業や管理監督業が規格化できている職場とは、労働者に無理な労働をさせないで、プロセス重視の仕事をしておけば、ある程度の品質管理ができて良い成果物を作り出したりサービスを顧客に与えたりする事ができる。
壊滅的な職場とは、用語の統一ができていない、作法の統一ができていない、それに基づく知の伝承ができていない。そして、リーダーが言う言葉は、「仕事は盗んで覚えるものだ。」とだけ言ってマネジメントしていると言っている職場である。こういう職場で働くと、よく聞く言葉は、「お客さんに虐げられてきた。虐げられてきた。」というリーダーや営業や会社の上司の愚痴である。お客さんの方も、プロジェクトのリーダーとのコミュニケーションにおいて、使う用語が一致していない、仕事の作法が一致していないのであれば、そういう人達と一緒に仕事をしても仕事に関して互いに理解し合えないから使い物にならない人達と思い、そういう人達が集まっているプロジェクトを排除したがるものであろう。

では、今度は、営業業務と管理監督業の事でも書いてみよう。
親会社が、子会社に電話営業を任せるのは、ただ、まかせてもしょうがないのである。
本当に真面目に、業務をやっているか?
言葉づかいは正しいか?
お客様に無礼なセールストークをしていないか?
正しい商品説明、サービス説明ができていないか?
このぐらいの事を親会社は、管理監督した方が良いだろう。
もし、この子会社に電話営業を任せている業務契約が準委任だとしても、外部監査みたいな形で管理監督したい所だ。
もし、管理監督しないとしたらならば、この子会社の電話営業を通して、親会社のイメージを悪くする恐れがあるのだ。
そこで、親会社は、子会社が勝手に電話営業をするのではなく、電話をかける先の電話番号のリストを用意しておいて、電話営業を担当するそれぞれの従業員にそれぞれ対応するリストを渡しておき、そしてそのリスト通りに電話営業をさせる。
その電話リストの中には、電話営業をきちっとやっているかを監視する人の電話番号を入れておく。
もし、電話営業の担当者が、さぼっていたとしたら、電話営業を監視する人に電話をかけてこないだろうから、そういう意味で監督業をする事ができる。
また、電話営業を監視する人に電話営業の人間が電話をかけてきたら、お客さんのふりをして正しい営業をしているかをチェックする。
電話営業をする人間は、親会社から渡されたリスト通りに電話する事。
たとえ友人から話を持ちかけられ、契約したい人間がいるとしても、無視して、そのリスト通りに電話営業する事。電話をかけるのはリストよりも多すぎても少なすぎてもダメだ。
もし、多すぎる場合、電話営業する子会社が、利益を得ようとしてやる事だろうが、こんな事をさせれば、親会社の監視の下で、この子会社は労働者に無理な仕事をさせていると判断して罰する事。次に少なすぎる場合、これは、さぼっていると考えて罰する事。
そうすれば、働いている人間達に労働法を守らせて、定時入社、定時退社させて、労働力を疲弊させる事無く、管理監督して労働をさせる事ができる。
ここで、営業ノルマの問題があるだろうが、そんな金よりも、敬語を使い正しい商品説明をしてくれる人間が電話営業をしてくれるのならば、会社のイメージやブランドを良いものとして維持する事ができる。
契約したり売買したりして金を得る事だけが営業では無い。
イメージ戦略、ブランドイメージを良くする事も含めて営業なのだ。
こういう管理監督方法があるとしたら、今度は、テレビの宣伝などで電話を受け付ける営業も同じ手が使える。
電話営業の管理監督者が、この営業へ電話をかけてみる。
なかなか電話に出なかったりしたら、この会社の本部へ電話をかけてこのお客様から電話を受け付ける電話営業はどうなっているかと問い合わせてみる。
そしたら、さぼっているか、さぼっていないかを確かめる事ができる。
また、電話が通じたら、電話営業に商品の説明をさせてみる。
敬語が使えなかったり、しどろもどろの営業だったり、ろくな商品説明ができなかったり、間違った商品説明しかできなかったりしているかを判断する事ができるだろう。
こういう時、嘘を言って確かめる事もする。
これで、いい加減な返答をする人間がいるかという事も確かめる事ができる。
こういうのも、管理監督業の仕事である。
 次に、自動車販売会社での管理監督業について考えてみよう。
電話での応対でも、ある程度分かる。
その他に、自動車販売会社とは、自動車を売るだけではなく、車検や定期点検のサービスを受け付ける事も業務の一つだ。
車検や定期点検のサービスのやり方を、営業本社からのコンピューターを使って、葉書だけ出してそれで満足している営業って怠慢だ。
それは、営業幹部は無能者ぞろいだという事でもある。
自動車販売会社では、サービス期間を設けてそこでお祭りをして、プレゼントを配ったりするものだ。
これと、車検と定期点検のサービスを結びつけようとする営業がいないものである。
営業販売所には、きっと顧客情報管理のコンピューターがあるはずだ。
車検や定期点検の期間と、自社の営業のお祭りとを関連付けて、お祭りの時、見込み客がいれば、積極的に、「お祭りがあるから来てください」なるラブコールを営業マンにさせ、そして、来てくれたお客さんに景品のサービスをしたりして、一言「車検の件よろしくお願い申し上げます。」なる事でも言っておけば、また、そこは、営業というサービスマンなのだから、いろいろとセールストークを研究しているのだから、その研究成果を出して、印象を良くして、お客様が車検してくれるようにするのも営業の仕事である。
そうすれば、お客様と営業マンとの接点が多くなり、車を買ってくれる見込みのあるお客様を多く獲得する可能性を高くしたりする事だってできるだろう。
これらが、営業の管理監督業によって成される効果というものである。

 次に、今度は、ブラック企業の考察をしてみよう。
品質管理基準であるISO9001があったとしても、人材派遣会社に仕事を依頼する場合、品質管理する業務を怠りながら労働者に仕事をさせている事があるものだ。
最初、人材派遣会社から人材を雇う時、労働法で規定された派遣契約で仕事をしてもらう事となるだろう。
この時、親会社は、派遣社員を管理監督して仕事をする事となる。
という事で、親会社がしっかり仕事の管理監督をすれば、ISO9001を守って仕事をする事ができるので、親会社良し。労働者良し。労働法良しの三方良しの仕事をする事ができる。
ここで、人材派遣会社の営業が、親会社と交渉して、今の人材に与えられている仕事を準委任契約にしませんかと話を持ち込む。
もし、この準委任契約が成立すると、この人材派遣会社は、派遣契約よりも親会社に対して高い金額を請求する事ができる。
この時、ここの労働者に対する指揮命令権は、親会社から人材派遣会社へ移る。
また、この労働によってできあがる成果物の責任は人材派遣会社はとらなくても良い。ただし親会社は、この人材派遣会社に対して、善管注意義務という善意だけを信じる事となる。
準委任契約で、人材派遣会社が、ISO9001に基づいて労働者管理してくれれば万々歳だが、これがなかなかうまくゆかない。
その理由。この人材派遣会社が生産して作る成果物に対して、人材派遣会社は実質上責任を取らなくて良い。請負契約ならば責任を持たねばならないが、準委任業務ならば責任は全く無い。人事派遣会社が「善管注意義務」やってますと言い張れば、責任を取らなくて良いのだ。これでは、ISO9001という品質管理ガイダンスを別に守る必要も無いし、また、本来、ISO9001に基づく管理監督業の担当者の存在が明記されていたとしても、そんなの労働者にまかせていて、「この労働者が兼任で管理監督業をやっています。」と言い張り、善管注意義務を盾に取れば、それを認めなくてはならない。
そもそも、管理監督業としての命令指揮権は、親会社に無く、人材派遣会社にあるのだから、親会社が、ISO9001を盾に取ってクレームを言っても、そこに法的罰則が無い状態である。これでは、人材派遣会社だけが金儲けができ、親会社損、労働者損、その商品を受け取るお客様損、世間が損の四方損の状態が生まれる事となる。
この様に、いくらISO9001という品質管理基準があったとしても、それが守れない日本の社会の仕組みというのが有ったりする。
この準委任契約による四方損を生み出す会社は、現在、ブラック企業として、この日本に存在している。
 では、ここで、人材派遣会社が行う契約、派遣と準委任契約の内容を比較する。
派遣  命令指揮権(派遣先)
 対価支払い(時間)
 完成責任(なし)
 適用される法(労働法)
準委任 命令指揮権(受託者)
 対価支払い(時間)
 完成責任(なし)
 適用される法(民法)
請負  命令指揮権(受託者)
 対価支払い(一括)
 完成責任(あり)
 適用される法(民法)
 では、私が派遣会社側の人間ならば、自分に有利になる展開でも考えてみるだろう。
まず、親会社と契約して「準委任」の契約を取ってくる。
次に、労働者は、人材派遣会社の人材としての労働者ではなく、まず、労働法の適用を受けている労働者の身分を剥奪して民法の適応を受ける個人経営者とする。
そして、人材派遣会社は、親会社と労働者との間に立って、「民法適用の準委任の経営者同士の契約を担う手配師」となろうとするだろう。
そして、労働に関しての命令指揮権は、人材派遣会社が持つのではなく、労働者を受託者とさせ労働者自身が与えられた業務を命令指揮する者とする事だろう。
そして、労働者自身が、ISO9001を守ってもらえれば良い。ISO9001を守るのは、親会社でも、人材派遣会社でも無く、今は労働者の立場を剥奪されている元労働者である受託者である。
利益を求める人材派遣会社は、ざっと、こんな事を考えて、親会社と人材派遣会社から仕事を求めてやって来る人材の立場を取り持つ事であろう。
人材派遣会社の言葉は次の様なものとなるだろう。「労働者なる言葉は古い、古い。今は、個人経営者の時代だ。我々は、会社と個人経営者の間を取り持つ人材派遣会社である。」
はてさて、これでは、ISO9001という親会社の求める品質管理が守れるか?
ISO9001が守れなかったら、その責任は、人材派遣会社が全く持たず、元労働者の立場の成れの果ての個人経営者が持つものであるのだろうか?
ただし、この民法の準委任契約の個人経営者は、製品の完成責任を任せられている請負契約の業者では無く、製品の完成責任を持たない善管注意義務だけ守っていれば良い個人経営者である。
誰も、ISO9001は、守らないでしょう。
この様に、日本の中小企業の産業能力は衰退の一途をたどる。それは、大企業も同様である。
更に、自称労働者であり労働者の成れの果ての個人経営者も衰退の一途をたどる。
ここに、親会社損、自称労働者損、日本国損の三方損の社会が生まれる事となる。
そして、この状況の中で、人材派遣会社が事業をやったとしたら、請負契約では無く準委任契約で仕事を取って労働者に仕事をさせるという世間をなめきった会社、ブラック企業が生まれる訳である。
では、日本国に、この世間をなめきった準委任契約の会社を無くすためには、準委任の契約に多くの制限を与える事にしてしまい、派遣契約か請負契約だけにしてしまえば良さそうである。
 さて、「労働者なる言葉は古い、古い。今は、個人経営者の時代だ。我々は、会社と個人経営者の間を取り持つ人材派遣会社である。」
さて、個人経営者の時代がおとずれて、それが、準委任契約だとしたら、日本は滅ぶ。
経営者に対する罰則が、「善管注意義務」という罰の無い状態。
もし、罰するとすれば、「取引停止処分」が一番重いだけの状態。
これじゃ、罪が軽すぎる。やはり、仕事をもらった側の経営者は、準委任の「善管注意義務」ではなく、請負の「完成責任」を負わなければならない。
ISO9001に対しての責任を「善管注意義務」によって全うする事無く、また民法の請負契約の「完成責任」も負わないで、「労働者なる言葉は古い、古い。今は、個人経営者の時代だ。我々は、会社と個人経営者の間を取り持つ人材派遣会社である。」と言っていたら、そんな経営者なんて労働者よりも無責任である。
更に、仕事の完成間際に仕事を任せた個人経営者達の所に行ってみると、何も仕事ができていなくて、「どうして何もやっていないんだ。」と怒ったら、そこの個人経営者達に「言われた事だけやった。言われた事だけやった。」と今にも殺されそうな張り上げた声を聞かされ、その上、不完全な仕事に金を支払わなければならないとしたら、これはたまったものではない。そして罰則無しの「善管注意義務」。最大の罰は「取引停止処分」。これが一番重い罰だとしたら、この労働者を無くして個人経営者の時代にするという時代は、労働者に仕事をさせて働かせた時代よりもより無責任な時代が到来する事となるだろう。
 もし、個人経営者の時代が来て日本を発展させるとしたら、会社同士の契約で、いいや、経営者同士の契約で、「準委任」で良い仕事なんてあり得ないだろう。
また、罰則が、「請負業務の完成責任」だけであるのも生ぬるい。
だって、ISO9001という品質管理があるのだから。
完成責任じゃなく、ちゃんとISO9001の品質基準を守っているかどうかの方を重視する視点を元に、法律で罰則基準を作るという契約の方が重要である。
そして、この品質基準を守らない経営者がいたら、その罰則は、「善管注意義務」に基づく最大の罰である「取引停止処分」だと罰は軽すぎるだろう。もっと重い罰が必用である。
更に、ISO9001通りに仕事をしたのに、成果物に不良品が出たとしたら、なぜISO9001通りに仕事をしてそうなったかの問題追及をしてくれない経営者なんて必要無い。
そんな経営者なんて無能者である。だって、本当に管理監督業務をする能力があるかが疑わしい。特に、仕事を請け負わせる経営者に対しては、成果物やサービスに対して、常に問題発見能力、原因追及能力、問題解決能力を身に付けさせ経営の基本であるPDCAサイクルを回させるだとかという能力が必用だ。もし、そんな事ができない個人経営者ならば、親会社が自らそこの個人経営者達を管理監督して仕事をさせた方が、親会社自身が製品の品質管理に対して責任有る仕事をする事ができる。
そこで、民法には「親会社が自らそこの個人経営者を管理監督する」なる個人経営者など存在しなく、そんな個人経営者がいたとしたら、これは「派遣社員」であるという事になり、「派遣社員」とは労働法管轄の「労働者」であるという事になってくるだろう。こうやって日本国の法律は、無能な民法で言う所の個人経営者を駆逐して、労働法の管轄の「労働者」としての立場にさせた方が、親会社のためにもなるし、個人経営者のためにもなる。
そこで、「労働者なる言葉は古い、古い。今は、個人経営者の時代だ。我々は、会社と個人経営者の間を取り持つ人材派遣会社である。」言葉。
こんな事を言っている人間は、日本の産業能力を衰退させ、日本の労働者の能力を衰退させ、日本の管理監督者と経営者の責任感を衰退させ、日本の国力を衰退させる言葉である。
「派遣労働法」の改訂は、アメリカからの圧力でそうなったのならばしかたがないのならば、それと同時に、民法の規定の「準委任業務の善管注意義務」の法改定をする必用がある。それは、その法案を無くさせるか制限をいろいろと加えたりして、できるだけ事業主は「請負契約」しかできないようにさせる様にするか、更に、現代の品質基準を守らせるための科学を取り入れて運用する規定を設けた法改定が必用だろう。
そうしないと、日本の産業界は滅ぶであろう。
 もし、将来、人材派遣会社が望む、個人経営者の時代になるとしたら、最低限、この様にしたい。
最初は、「派遣契約」によって親会社から仕事をもらい、仕事のやり方を教わる。
そうやって、親会社から、仕事に関しての実力を付けさせてもらって認められる様になったら、今までの労働法で守られている「派遣契約」か民法の規定の個人経営者としての「請負契約」かを選ばせ、もし、「請負契約」を選んだとしたならば親会社の持つ「品質管理基準」通りに仕事をするという契約を結ばせて、もし、「品質管理基準」を満たさない仕事をするのならば罰則を与えるというぐらいの事をせねばならない。
この時、もし、労働者が一人前の実力を付けて金取りの良い個人事業者になりたいと願っていたら、親会社の企業も喜んでこの人材をバックアップして育ててゆくと頑張る事だろう。また、この個人事業主になりたいと欲している人材も仕事に対して頑張るから、双方にとっても良い関係になる。
また、人材派遣会社が、派遣契約での利益で満足せず請負契約を取ってゆきたいとなれば、人材派遣会社の方も、もっと、一生懸命に親会社の仕事を学んで自分のものにしてゆこうと頑張ってくれる事だろう。
韓非子の法の哲学とは、「賞と罰」によって人を動かすのであるから、これは、当然である。
そして、こうやって仕事を請け負う個人経営者がいたら、今度は、親会社と一緒に、ISO9001の品質管理基準に対しての共同研究をしたり、仕事に関していろいろと前向きなコミュニケーションしたりして、親会社と子会社とが一緒にその産業を成長させてゆくという経営者と経営者の関係が成り立っている社会作りをしてゆく事が、今後の産業界には必用なのである。
 現在の法律は、「労働に関する生産物」、「産業というシステム」という問題について運用してゆくには生ぬるい。
であるから、「派遣」、「準委任」、「請負」なる問題だけが、うろちょろして、労働という事が、そして経営という事が、いかにこの社会に貢献してこの日本国を立派にし世界を立派にするかという視点が抜けている。
最終的には、誰が責任を負える労働であるか?事業であるか?
「事業のシステム化と管理監督業によって社会を発展させる」という視点を重視して、
もう少し、産業の発展を科学的に考え、労働という事柄をシステム的に考え、産業システムを運用してゆくという事を真剣に科学的に考え、社会の発展という視点を真剣に科学的に考え、社会に貢献するという法の適用を科学を元にして真剣に考えて運用してゆく事を国家が考えてゆかねばならない。
 国家がこんな事態に陥るのは、皆、事業というものやその成果物の品質の向上につての本質を考えて法律について考える事よりも、労働者に支払う賃金や雇用の事にしか目を奪われてないで国家の法律について考えており、労働のシステム化と管理監督業の重要性を認識しないで人を使っている無能者達が多いから、それが経営者や政治家屋マスコミまで及んでいるのだから、きっと、こんな社会になってしまっているのだろう。
つまり、国家繁栄の本質とは、事業の成功と事業の成果物とサービスの品質の向上にあり、労働者の雇用や賃金は、それらが成り立ってから与えられるのが本来の姿であるのに、その本質が忘れ去られて、枝葉の労働の問題を重点的に考えようとするから、国家が転覆するのである。
派遣業務斡旋で満足せず請負契約だとか準委任契約に手を出そうとする人材派遣会社も、雇用主だとか労働者だとか、そんな視点で事業をするのではなく、もっと、その上位概念である、親会社の事業のシステムへの参加とその貢献にまで及ばないと、国家を転覆させてしまう基幹産業となってしまう事だろう。

 私は、今の準委任業務のソフトウエア会社はめぐまれていると思う。
一回目の仕事は、ウォーターフォール型の仕事の形態であるが、それ以降、同じ仕事をちょっと手間をかけてやる仕事も、以前のウォーターフォール型の仕事の形態で仕事を取ってくる。
例えば、昔の話だが、BISDNの仕事で、最初の一回目の仕事で、16本のデーターを取り扱っていた機械のソフトウエアの開発を成し遂げた後、今度は二回目の仕事として23本まで使える様に改造して欲しいなる親会社からの要望が出ていたのだった。
こんな仕事とは、以前の担当者がいれば、以前の開発していたソフトウエアのプログラムを流用して、そのまま改造して作れば、すぐに簡単に良質なソフトウエアを開発できるはずである。
そしたら、ウォーターフォール型ソフトウエア開発なんていう工数のかかる仕事なんて必用無いし、その分、納期も費用も安く仕事をやってもらえるはずなのである。
それなのに、親会社は、子会社に対して準委任の契約をし、ウォーターフォール型のプログラム開発形態を認め、そのための期間と工数分のお金を支払っていた。
子会社は、以前の開発要員のほとんどを撤退させ、代わりに何もその業務をやった事が無いプログラマーを集めて仕事をさせる。そして、親会社に対して堂々と「技術力のある技術者ですから大丈夫です。まかせてください。」と言ってのける。そして、みごと、その仕事を失敗させる事となる。
失敗の最大の原因とは何か?
子会社が、以前、仕事をしてくれた人を使って同じ仕事をさせなかったからである。
人材のたらい回しと、何もその仕事の内容を知らない人間に対して仕事を丸投げする。
ソフトウエア業界とは、こんな失敗がまかり通っている。
そして、デスマーチがどうのこうのだとか、親会社の偽装請負が法律違反だとか、子会社の経営者や、子会社の上司や、その子会社のプロジェクトのリーダー達が、仕事を与えてくれる親会社に対して、「我々は、親会社に虐げられてきた」なる事を堂々と仕事を与えてもらっているプログラマー達に言って憤慨していたりする。そして、納期が来て不出来なソフトウエアを親会社に渡した時、親会社がクレームを言うと、仕事を与えてもらっているプログラマー達やリーダーは、今にも殺されそうな声を張り上げて「言われた事だけやった。言われた事だけやった。」とがなりたてる。
準委任の契約形態でソフトウエア開発を依頼すると、こんな事は頻繁に起こる。
その最大の理由。準委任契約とは「善管注意義務」であり、仕事に関して法的な罰則が無い。例えば、メーカーが販売している自動車に不具合があるとしたら、リコールするのが当たり前である。そこには、日本国が定めた法的罰則が有るためである。
現在、ソフトウエア産業の人材が少ない事が大きな社会問題だと言われているが、もっと大きな問題は、ソフトウエア産業の契約形態が、準委任であり、「善管注意義務」だけを背負い、特に法的な罰則が無く無責任でいられるという事。これが、大きな社会問題だと言えるだろう。
法的な賞罰とは、責任感が強くて功績の高い産業の法人、及び従業員には賞を与える。
責任感が無くいい加減な仕事しかできない産業の法人、及び従業員には罰を与える。
こういう法整備が最低限必用である。
日本の産業力を強化するために。
更に産業力を強めるとしたら、あらゆる経営は科学的である事。労働品質を高める事。仕事のプロセスを重視して良い成果物やサービスを与えるための研究をする事。そのために、問題発見能力、原因追及能力、問題解決能力を元にした経営で言われている所のPDCAサイクルを回せる事。親会社と良い仕事のための研究のコミュニケーションができる事。親会社と仕事の作法と用語が一致している事。
これらの基礎ができていなければならない。
それは、企業の品質管理基準であるISO9001以前の問題である。

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