神は不滅だ。

人生とは、挫折の連続である。その挫折から回復させるのには「根拠の無い自信」が必要だとインターネットで見た覚えがある。
根拠の無い自信。それの反対用語は根拠のある自信である。
根拠のある自信とは、数値化できるだとか客観視できる事柄により裏付けられる自信である。
根拠の無い自信とは、神に愛されているなどがそうである。
神を信じている人には悪いが、神という存在は、絶対だとも言えるが、実は一番根拠の無い存在である。
魂、霊魂も根拠の無い存在である。

さて、実は、最近の私は、「死にたい」と思っているのである。
両親が死んで寂しいという気持ちを持っていたが、なぜか、「死にたい」と思ってしまっているのである。
経済的に困っている事が無いのに「死にたい」という願望を持っているので、実に贅沢な悩みなのである。
私の本心は「死にたくは無い」である。経済的にも身体的にも困っていないから。
だから、「死にたい」という気持ちは、死神から目を付けられているのではないだろうかと考えるのである。

さて、この状態から脱出したい。
どうやって、この「死にたい」という気持ちから脱する事ができるようになるのだろうか。

そこで、根拠の無い自信の出番である。
スローガンとして、「神は不滅だ!!」を三べん唱えてみる。すると気合が出てくるではないか。
ニーチェが「神は死んだ」と言ったが、そのアンチテーゼである「神は不滅だ!!」を気合を込めて唱える。
霊魂は、不滅かそうではないかという議論があるらしいが、「神は不滅だ!!」を唱えてみる。
すると根拠の無い自信が出てくるのである。

自殺を考える時は、自分が消滅する事を考える。消滅したくてどうしようもない状態になる。
この消滅に対して正反対の絶対的存在をイメージするならば、絶対的な神の存在をイメージした方が良いだろう。
キリスト教では、「神は愛だ!!」という事になるだろうが、現在、自殺を食い止めるには、「神は絶対だ!!」、「神は不滅だ!!」をイメージして唱えて、気合を入れる事が肝要となる。
生きるためには、気合が必要である。
根拠のある無常な存在から出てくる自信からの気合は無常で有限であるが、根拠の無い絶対的な存在から出てくる自信からの気合は絶対的で無限であろう。

だから、理由はいらない。
神は不滅だ!!神は不滅だ!!神は不滅だ!!

私が、若い時は、「自分が嫌いだ」という自虐的感情を持っていたが、死にたいとは思わなかった。
今は、「自分が嫌いだ」という感情を持っておらず、むしろ「自分が好きだ」というポジティブシンキングである。
「自分が好き」なのに、「死にたい」というのは、なんか、贅沢な悩みである。


さて、気づいた事がある。
「死にたい」という感情の時は、うつ病なのである。
このうつの時から、躁病に変わる時、「死にたい」という感情のままだと、躁病の勢いで「自殺」する事になるのではないだろうか。つまり、感情の「うつ」から「そう」に変わる時の過度現象の時が危ない。

8月14日 さびしくてたまらない気持ちになった。それは、死にたいという気持ちになった時と同様であった。そうか、死にたいほど寂しいんだ。寂しいという気持ちはこんなにも切なくつらいものなのだなぁ〜。そこで、仏壇の水を取り替え線香をあげお経を唱えた。

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